今日は若い人のアトピーツイートをみて本当に切なくて泣けてきてしまった。自分をダメと思う気持ち、汚いと思う気持ち、痛いほどよくわかる。
でも声を大にして言いたい。
アトピーの人はいい人だ!
自分をまったく良いと思えないとしても、そんなの信じられないと思ったとしても、間違いなくアトピーの人はいい人です。
考えてもみてください。ずっとかゆいんですよ。もう極端な話、24時間365日どっかしらがかゆいんです。
それなのに、友だちとおしゃべりして、学校に行って、勉強して、仕事に行って、家族のこと考えて・・・、一生懸命普通の顔して生きていて、その上、アトピーを治そうといろんな努力を重ねているんです。
たぶん、一般人が突然アトピーの体と入れ替わったら発狂すると思う。
なぜこんなに熱く語るかというと、知ってほしいから。どんなに自分が頑張っていて、ただただ生きているだけですごいかってことを。
Contents
かゆみに支配された日々
私は脱ステして4年目に「全くかゆくない」という感覚を生まれて初めて味わいました。
最初は自分に何が起きたのかよくわからなかった。
「あれ、なんだか今日は気分がいいな~」と思う日がちらほら出てきて、最初は単に気分の問題だと思ってた。
でもよくよく考えてみたら朝から一度も“かゆくない”ことに気づいたんです。
雷に打たれたみたいに衝撃を受けました。
「かゆくないって、こんなに気分がいいんだ」
「かゆくないって、こんなに物事に集中できるんだ」
「かゆくないって、こんなに前向きな気持ちになれるんだ」
これは今までに経験したことがない、生まれてはじめての感覚でした。
逆にアトピーって24時間365日常にかゆみに支配されているってことだよな、そうやってみんな生きてるんだよな、こりゃ大変なことだって思いました。
どれだけ大変な中、普通の顔して生きているのかって愕然としました。
そのとき私はアトピーは超絶いい人だって確信したんです。
自分が悪いの?
でも、周りからマイナスのメッセージをたくさんもらって、いつのまにかアトピーは自分が悪いからだって思い込んでしまっている。
でも本当にそうなのかな。
かいてしまうからアトピーなの?
かゆいのは自分のせい?
努力が足りないの?
いえいえ、そんなことは絶対にありません。
寝るだけ、食べるだけ、息をするだけでも努力が必要な状況を生きているんです。
アトピーになりたくてなった人なんていない
アトピーは本人の努力が足りないって思われたり、死ぬ病気じゃないからって周りがコメントしやすい病気です。
でも心は何度も死んでるんです。表面では笑ってても、心で泣いてるんです。
私はこれも声を大にして言いたい。
自分の体なんだから、好きなようにすればいい。
どんな治療法を選ぼうが、どんな服を着ようが、肌に触れてかこうが、それを決める権利は自分にある。
なぜなら何を選んでも結局引き受けるのは自分だから。
何かを勧めてきた人、アトピーを叱った人、汚い目で見た人、この人たちはなんの責任も負いません。ただ酷いアトピーの姿を何も言わずに見ていられないだけです。アトピーの人にプラスになる心配の仕方(表現の仕方)を知らないだけです。
私たちアトピーに本当に必要なことは、私たちが何を選択したとしても応援してくれる絶対的な味方です。
もし、子どもに対してだったら正しい知識と、これから生きていく上でどう情報の取捨選択をしていくか、その方法を教えることです。
いま私たちに必要なこと
そして私たちアトピー自身は、この上さらに努力をしないといけないかと思うと本当に酷なことなんだけど、自分で選んで結果を引き受けるという覚悟が必要なんだと私は思います。
それは具体的には意思決定の土台を他人から自分に移すということ。
お母さんに言われたから、やる
医者に言われたから、やる
ネットでみんな言ってるから、買う
ではなくて、
お母さんはこういう意見、
医者はこういう意見、
ネットにはこう書いてある、
さて、自分はどうしようか
と自分で決める。
すでにやってると思うかもしれないですが、もっと自覚的に行うんです。
私はどうしたいのか、私の体はどうなのか、自分を親友のように思って丁寧にやりとりするんです。
親友が落ち込んでたら、そばにいてあげますよね。親友が自分はダメな奴なんだって言ってたらそんなことないよって言ってあげますよね。
でも私たちは日常的にこれと反対のことをしています。傷ついている自分に塩を塗り込むように「自分はダメな奴だ」「自分は汚い」って、絶対に親友に言わないような言葉を自分にかけています。
私は自分を罵り続けていたある日、自分のひどい肌を見ていてふと思いました。
自分の体なのに、私からこんなに嫌われている体はどんな気分だろう
いちばん近くにいる私からこんなに嫌われている体はかわいそう
私も孤独だけど、あんたも孤独だよね
そう思ったら泣けて泣けて仕方なかった。
それから少しずつ、自分と切り離してモノのように扱っていた体を、これも私なんだと受け入れていきました。
間違っても失敗してもいい
選択して間違えることももちろんあると思う。その時はまた体の声を聞いて、軌道修正すればいい。
もともとアトピーは体の感覚が研ぎ澄まされているから、体に対する憎しみや罪悪感を持たずに耳を傾けてあげれば、何が自分にとってベストか答えが見えてくるはずです。最初は上手にできないかもしれないけど、それでいいんです。
自分がどう生きるのか、何を食べて、何を塗って、またはなんにも塗らないのか、かくのか、かかないのか、自分で考えて決めればいいんです。
これを繰り返していると、アトピーがひどくても不思議と自信がついていきます。
それに主導権を完全に自分の手に取り戻すことになるので、他人を責めなくて済みます。
自分の人生を賢く選択する力がアトピーにはある
私の好きな言葉で「平安の祈り」というのがあります。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
よく人生がどん底のときに唱えていました。
いま自分がコントロールできないものってなんだろう、
そしていま自分にできることはなんだろう、ってよく考えました。
アトピーであるということは変えられません。でも自分にできることもあります。それを賢く選択できるようになれば、さらにあなたという人間が内側から輝いていくことでしょう。
ものすごく熱く語ってしまったので、引いた人もいるかもしれませんね(笑)。
でも言わずにいられなかったんです。この記事が少しでも役に立ったら嬉しいです。
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