久しぶりに家族の問題で板挟みになって、ちょっと具合が悪くなってしまった。
それで、昔はこういうとき、アトピーが悪化して、気が狂いそうになるくらいかゆくなってたな、と思い出した。
私のケースだけど、家族間ストレスとアトピー悪化がどのように関係していたか振り返ってみたいと思う。
アトピー人生でいつ悪化してきたか
事の発端は母の7回忌である。それに伴って家族がすったもんだしている。
兄から電話がきて父に対する不満を、父から電話が来て兄に対する不満を、それぞれ聞いた。
話を聞くのは全然オッケーなんだけど、やっぱり家族がどちらか一方を心底嫌いと思っているのを聞くのは悲しい。
私のアトピー人生を振り返ると、
家族間の人間関係にあわせて悪化して、
仕事でメンタルをやられたときに悪化して、
心が健やかかどうかがアトピーの状態ともの凄く関係している。
今はアトピーという形では出ないけど、やっぱり、落ち込む。
気がつくと呼吸が浅くなっている。
家族の背景
母はもう他界していて、実家の家族は父と兄と弟二人。
父と母は私が中学生のときから仲が悪くて、途中から一切口をきかなくなった。
それで私が中継役をしていた。
私はなんとか親の仲を元に戻そうと必死だった。
でもそんなことは中学生にはとうてい無理な訳で・・・。
この不毛な戦いになぜ挑んでいたかというと、4人兄弟の中で「長女で女ひとり」というのも関係していたと思う。弟がふたりいて、具合の悪いおばあちゃんもいて、親が仲悪かったら、そりゃ頑張らなきゃって思うわな。
いつも家族のことばっかり考えていたけど、結局何やっても親の仲は戻らなかった。
アトピー以外の病気
家族のことを一番に気にする生き方は25歳まで続いた。
しかし、父の金銭トラブル、家族の病気、いろいろなことが重なって一気に破綻した。
家族の病気に向き合ったとき、自分の家族が機能不全家族で自分は共依存ということがわかった。
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。(ウィキペディアより引用)
本当に思い当たることだらけで、ハンマーで頭を殴られたようにショックを受けた。
でも一方で、ああ、自分は病気だったんだ、と思ったらいろんなことに納得がいって、もしかしたら自分はこれからもっと楽に生きられるのかもしれないと思った。
家族の世話を焼くことで自分はいい人だと思いたかった。
家族の中でかけがえのない大切な存在だと思いたかった。
人のことを「心配だ」と言って世話をしながら、
一方で「相手から私はどう思われるいるのか」がいつも気になっていた。
行動基準がいつも他人だった。
「あの人がどう思うか」ばかり気にして、
「私はどうしたいのか」がすっぽり抜けていた。
私の中に「私は」という主語が存在しなかった。
で、こうした気づきが33歳で脱ステと食事療法に踏み切ることへの布石となる。
メンタル不調
その後、自分の病気(アトピーではなく共依存のほう)に向き合うことになるが、そんな急に生き方を変えられず、今度は仕事で苦しんだ。
いい人と思われたい、仕事できる人と思われたい、これが私の基準だったから、来るもの拒まずでなんでも引き受けていた。
ある大きなプロジェクトを任されて、毎日終電、休日も出勤という日が続いた。
それでだんだんと心を病んでいってパニック障害になってしまった。
上手に助けを求められないし、できませんが言えない。
仕事を断ったら無能と思われるのが怖くてなんでも引き受けてきた。
そのツケがパニック障害という形でまわってきた。
必死になって「快活で弱音を吐かない仕事できる人」を演じていたら、今度は自分自身が破綻してしまった。
もちろん、この頃はアトピーも大爆発していて、ステロイドを塗りまくってた。
私はどうしたいのか
それで30歳の時に8年働いた会社を辞めた。
その後パニック障害が治るまで1年くらいかかったと思う。
パニック障害がよくなってからは、派遣で働いたり、知り合いの会社でバイトしたりして日々を送っていた。
この間もステロイドを使っていたが年々薬が効かなくなっていて、おさまってはさらに酷くなるの繰り返しだった。
33歳のときに人生最大のアトピー悪化が襲ってきて、本気でこれからどう生きていこうかと考えたとき、もう何かに頼る生き方はやめたいと思った。
これからも人からどう思われるかを気にしながら生きていくのか。
これからもずっとステロイドを使って生きていくのか。
こう自分に問いかけたとき、答えはNOだった。
これまでは誰かのために(究極的には自分のためだったけど)YESなのかNOなのかを考えてきた。
このとき出したNOは初めて自分のためだけに出したNOだったと思う。
それで、誰になんと言われようとも、「私が」どうしたいのかを考えて、治療方針を決めた。
砂糖をやめたり外食をやめたり食事療法は大変だったけど、食べ方を変えることは私にとって生き方を変えることだったから、とにかく必死だった。
何度も失敗して、肌の状態は1歩進んで10歩くらい下がるというのを何度も繰り返したけど、もう10代から20代の人生に対してコントロールがきかない時代へ戻りたくなかったからどんなに酷くなってもあきらめなかった。
苦労しながらも脱ステと食事療法を続けられたのは、これまでに感じたことのない「自分が」この治療法を選択しているという誇りがあったからだと思う。30代半ばにして初めて自分を生きている気がした。
変えられないものを受け入れる
時間はかかったけど、結果的にアトピーはよくなった。
だいぶ自分の人生も自分の手に取り戻せたと思う。
しかし、人にどう思われるかを気にする生き方は、まだまだ手放せていない。
今回のような家族の不協和音が出てくると、自分の共依存性がうずき出す。
なんとかあの人達を仲良くさせたい。
でもそれは私にできることではない。
当人同士におまかせするしかない。
そこで自分が共依存だとわかったときからお守りのように持っている祈りの言葉が生きてくる。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
変えられないものは他人の心。
変えられるものは私の感じ方や態度。
これは私の一生のテーマなのかもしれない。
脱ステ・脱保湿をしたときの詳細な記録もあります。よろしかったらこちらもどうぞ。
私の脱ステ・猛烈な排毒との戦い【写真付き】1年ごとの詳しい記録
アトピー脱保湿・詳細な記録(写真付き)【激しいリバウンド|グリチルリチン酸】
脱ステ・脱保湿と同時に私が取り組んでいたもろもろはこちらです。
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①1日2食にする(半日断食で腸をきれいに)
②腸にキズをつける食べ物を摂らない
③半日断食+スイマグで腸内環境を整える
④石けん、シャンプー、洗剤類を一気に変える
⑤半身浴で脱ステ中の排毒(デトックス)を促す
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